稽古とは一より習う最初のその一
表千家でございます
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雪峰
小間の茶事の主茶碗は「雪峰」と言われた。
私は雇われマダム(一日駅長?)ならぬ雇われ亭主(一日亭主?)、彼女のご自宅の小間とお道具で有難い経験をさせて頂いただけ。
お道具に口を挟む知識も度胸も持ち合わせていないわけだが、でも・・・私の好きな光悦・・・畠山でも実物見たし・・・何か違う・・・
例のあの大胆な火割れと金粉漆繕いがない。
お正客さんが「白釉の流れがいいですね。」と言ってた。
白釉の・・・ながれ?
帰って調べてみたら「了入写 笹の絵 赤楽茶碗」にそっくり!
でも箱書きだってあるでしょうに、そんな間違えってあるんだろうか?
お道具をいっぱいお持ちだから混ざっちゃったのか?
謎。
(ё_ё) 昨夜は眠くて錦織選手の出番を待たずに寝てしまった。明け方夢を見た。フルセットにもつれ込んで勝った夢。左足が万全じゃないんだからサッサと勝っていかなくちゃ・・・と思いながら目が覚めた。夢で良かった!と思った。テレビつけたらフルセット後の勝利だって。正夢!
2015/06/30(火)
20:20
焼き物
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高取焼き
文禄、慶長の役(1592年~98年)は別名「やきもの戦争」とも呼ばれ、日本の陶磁器に多大の影響を及ぼしている。
(ё_ё)文禄・慶長の役(ぶんろく・けいちょうのえき)って?
豊臣秀吉の「唐入り」構想に基づき朝鮮に明への道案内を命じたところ拒絶されたことから、まずは朝鮮を征服する目的として文禄の役が始まった。
朝鮮はほとんど無防備、無警戒に近い状態で、秀吉による奇襲攻撃を防ぐことはできなかった。
その後、明からの援軍、朝鮮義兵の参加もあり、秀吉軍は窮地に追い込まれた。
秀吉の死を受けた日本軍の撤退をもって終結し、日本の敗北に終わった。
日本軍が帰国の折に様々な文物を持ち帰り、専門職集団を強制移住させたが、その中に「やきもの」や「陶工」の比重が圧倒的であった。
高取焼も文禄、慶長の役後に開窯された焼物の一つである。
黒田長政は文禄・慶長の両役に参加したが帰国の折に朝鮮人陶工「八山」(はちざん)を連れてきた。
(ё_ё)だから高取焼宗家は代々『八山』の名を受け継いでいるのね。現在は十三代八山。
最初の窯場は直方市の郊外鷹取山麓にある永満寺宅間に開かれた。
この地に因んで焼物の名称も「高取焼」と命名された。
小堀遠州(三代将軍家光公の茶道指南役)の指導をうけ、七色の釉薬を特色とするいわゆる「綺麗さび」を基とした茶陶を展開した。
(ё_ё)なので「高取焼宗家HP」によると『現在も遠州七窯の筆頭の窯元として茶道遠州流宗家のお家元から直々にご指導を賜りながら作陶を続けております。』なのね。
現在では東西二つの皿山が運営されている。
東皿山窯は、明治4年(1871)廃藩置県に至るまで最も永く営まれた。この窯は茶陶を専門とした。←亀井味楽氏
庶民の日用品生産のため西皿山窯が築かれた。←原豊氏
2015/06/17(水)
13:15
焼き物
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