旦入(十代)の婿養子となり、弘化2年(1845ー28歳)十一代吉左衞門を襲名。
明治4年(1871ー54歳)剃髪隠居して慶入と号す。
慶入の時代は幕末明治維新という茶の湯をはじめとする伝統芸能衰退の時代であった。
維新と文明開化の流れの中で茶道は軽んじられ、疎んじられ、特に徳川家と縁のあった千家への風当たりは強く、それは楽家も同様であった。
慶入はそうした世事にとらわれることなく、実にゆったりとしたおおらかな作品を残している。
伝わるところによると三代道入、ノンコウを敬慕したとあり、また、技量、教養も高く、茶の湯では表千家より皆伝を受けている。
茶の湯全体が低迷する中、さまざまな道具を作り、華族に売ることで生計を立てたとも言われている。
(ё_ё) 慶入写しのお茶碗あるので、慶入さんのこと知っとかなきゃと思ったけど、ほかの楽家の歴代も名前くらいは覚えなくちゃ!
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